ハンドルネーム:Hide
生年月日:1974年(昭和49年)10月14日(てんびん座)
血液型:B型
出身地:愛媛県 東予地方(愛媛では県域東部を昔の愛媛県の呼び方(伊予国)をとって”東予”と呼んでいます。)
【幼少期から小学校時代まで】
1974年愛媛県生まれ。
父は職人気質の大工、母は主婦。幼少期から特に大工職人である父の影響を受け、5歳ぐらいから金槌を持って家の柱や木の切れ端をコンコンしてました。
そのうち、釘とのこぎりも使うようになり、郵便受けを作って玄関に置いたり、ペン立てを作ったりと気がついたものを片っ端から「自作」していました。
このときに自力で作り上げていく喜びを覚え、「何でも自分でやってみる」というマインド出来上がってきたのだと思います。
そんな環境を作ってくれた父や母には感謝するしかありません。
【中学時代】
中学時代にはじめてパソコンに出会います。
その当時は今のように、WindowsのようなGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス:マウスのような入力機器を利用しパソコンの操作を簡易化する仕組み)がなく、キーボードから文字を入力することで、パソコンが動作する時代でした。
そして、NECのPC-98シリーズパソコンが全盛だった中、どちらかといえばマイナーなMSXという統一規格を採用したパソコンを両親に買ってもらい、プログラム(今で言うところの「アプリ」)を自作したり、市販ゲームにいそしんだりとパソコンの魅力にはまっていったのです。
中の良い友人2人とほぼ毎日というくらいMSXパソコンに触れ、楽しんでいました。
このときに、私のパソコンスキルが向上し、その後に就く仕事やプライベートに役立っていったのだと思います。
【高校時代】
私が進んだ高校はいわゆる進学校であったので、大学進学が当たり前の雰囲気。
ほぼ毎週模擬試験、夏休み・冬休みは補修の毎日と大学進学の環境がしっかり整っていました。
なんとなくここまで来た私は、この勢いについていくのが大変だったことを覚えています。
その中で幸いなことに行きたいと感じた大学に運よく合格することができ、晴れて大学生活を満喫することになったのでした。
【大学時代】
大学に入ってから、山岳部に入部。愛媛県の主要な山の尾根を歩いていました。もともと、父が山に入山するのが好きで私もその影響を受けたのでしょう。
父の場合は筍などの山菜をとったり、みつばちの巣箱をおいて蜂蜜を採ったりと自給自足目的で通常の登山家が目指すような山頂登頂ではありませんが、山の空気のおいしさと、目前に広がる雄大であざやかな風景に幼少期から父とともに入山した時の記憶がよみがえり、登山の魅力を子供ながらに感じていたのだと思います。
余談ですが、大学の山岳部登山から20年以上離れていた登山に本格的に挑戦!!
久々に昨年(平成29年)7月に石鎚山に登ってきました。
景色がとてもきれいだと思いませんか?
2年次からゼミで会計学を専攻し、指導教授の先生から将来仕事するなら国税専門官(国家公務員・いわゆる”マルサ”です)がいいぞ!とアドバイスを受け、4年次に挑戦するも失敗。
就職浪人してもう一度挑戦しましたが、筆記試験で苦手な教科が克服できず、再度失敗。
最終的には地元のスーパーマーケットに就職することになりました。
【社労士・河野順一先生との出会い】
20歳代前半にふと書店に立ち寄るとある本が目に飛び込んできました。
「ドキュメント 社会保険労務士」
これは、社会保険労務士(一般的に”社労士”と略して呼びます)のオピニオンリーダーであり、今も東京で活躍されている社会保険労務士、河野順一先生が書かれた本で河野先生が社会保険労務士業で実体験したありとあらゆる人間ドラマを詰めて書いてあります。
先生が感じたこと、クライアントの悲痛なる思い。
そんな濃厚な人間ドラマがこの一冊の単行本に詰まっている。その情景を共有したくて5回以上繰り返し読んだと思います。
それ以来、私は河野先生のファンとなり、先生の著作を片っ端から読んでいきました。
社労士業務専門書も含めば河野先生の本は20冊以上愛読しております。それぐらい、先生の魅力が本の中から伝わってくるのです。
そうするうちに、いつしか自分も社会保険労務士になりたい!と思うようになり、社会保険労務士資格試験に挑戦することになりました。
通信教育講座を活用して試験勉強を毎日2時間はしていたでしょうか。結果、平成13年に2回目の挑戦で合格することができました。
合格したときはとてもうれしかったことを覚えています。
河野先生と同じフィールドに立たせてもらえることができたんだ!そう思いながら自分の将来を描くと毎日がワクワクせずに入られませんでした。
【独立】
27歳のときに社労士として独立。
企業クライアントの労働保険・社会保険に関する諸手続きやご相談、個人クライアントの労災保険審査請求事件など幅広い業務を取り扱い、毎日が充実していました。
特に、個人の方の障害年金の案件で診断書の記入に難色を示されていた担当医師のもとを何度も尋ね、説得してようやく記入していただけるようになり、結果支給決定になったことは自分の大きな自信につながりました。なんとしてでもこのクライアントを助けたいという一心でした。自分があきらめたらこの人はどうなるのだろう、そう思うだけで自分に課せられた使命感というのがふつふつと沸いてきて必死で業務に取り組んでいた自分を思い出します。
このように毎日をとても楽しく過ごしていましたが、諸他の事情により社労士業を休止することになり、一般企業で社労士としての知識を生かさせてもらえることとなりました。
【現在】
現在は某食品メーカーで経理全般を担当しています。
まさか、大学生のときに専攻した会計の知識が生かせる場が生まれるとは思っても見ませんでした。
このとき、何事もやって無駄なことはない。少なからず、経験したことを生かせるときがやってくるということを感じました。
また、社労士の知識を生かし社会保険関係・労務関係の業務も担当させていただいてます。
【保有資格】
社会保険労務士
行政書士
日商簿記検定2級