山あるきはじめよう!

明治時代の殖産興業を支えた別子銅山の遺構を歩く・西赤石山

今回の山あるきは愛媛県新居浜市の東平(とうなる)から西赤石山山頂に向けて歩きます。

 

日時 2019年6月8日(土) 9:00出発

天候 曇り時々雨

登山口 東平登山口

 

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その広さが繁栄を物語る・東平採鉱本部

登山口の東平地区は明治時代~昭和48年までの間、住友グループが世界最大の産銅量を誇った別子銅山の採鉱本部を設置していた場所です。

 

 

登山口駐車場から5分ほど歩いた場所にある山中にしては異常に広い平地がその採鉱本部あとの面影を残しています。

 

また、採鉱本部跡には、昭和40年まで使用されていた発電所跡が残されており、レンガ造りの建物が、当時の繁栄を物語っています。

 

 東平採鉱本部から二手に分かれる登山道。

 

主役・住友グループ

左手に進むと住友グループの住友共同電力さんが設置した鉄塔が出てきます。

この鉄塔にかかった送電線が新居浜市内に向けて張っている風景が見えます。

きっと、採鉱のために必要な電気を供給していたのでしょう。

 

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野鳥に出会う!

平地ではお目にかからない野鳥たちにも出会えます!

こんな発見が、山あるきの醍醐味ですね。

 

なぜこんなに広い?

東平登山口から30分ほど登ると山の中腹をなだらかに歩いていく幅3メートルほどの登山道が出てきます。

登山道の幅といい、石垣やレンガで擁壁を作って登山道を整備しているところといい、人の手がたくさんかかっていることが垣間見えます。

 

そう、この登山道はかつて明治時代に住友グループが別子銅山から採鉱した鉱石を運搬するために山岳鉄道を敷設していた場所なのです。

この広い登山道にレールを敷設し、蒸気機関車に貨車をつないでこの深い山の中を明治の黎明期に走っていたそうです。

 

しかも、この場所は標高1,000メートルに位置する場所

よくこの時代に、当時の最新鋭の蒸気機関車を走らせたものです。

 

どのようにして、この蒸気機関車をこの山中まで上げたのでしょうか?

この鉄道跡を見ていると、当時の日本人の世界に追いつこうとする覚悟が見て取れます。

 

 この廃線跡を歩いて行くと途中谷にかかる木製の橋が出てきます。

石垣で橋脚を作り、蒸気機関車が走るに耐えるものを作り出した先人の知恵にただ驚くばかりです。

(この橋は崩れかけているため、現在は通行できません。いったん谷に下りてから向こう岸に渡るのが安全です。)

 

新居浜を望む

途中、新居浜市内と瀬戸内海の景色を望みながら進みます。

いつも平地から見上げる山々と今山から見下ろす平地。

自然の偉大さを感じずにはいられません。

 

西赤石山へGO!

 廃線跡の登山道を左に折れ、西赤石山へ向かいます。

 

 

西赤石山登頂!

東平登山口から約3時間での到着となりました。

 

お昼をいただき、下山です。

かつて、別子銅山で採掘された銅鉱石を人力で運んだ時代、人夫が銅山越という峠を越えて東平に向けて運び出していました。

下山はその銅山越経由のルートで下山します。

 

別子銅山の歴史を強く感じる場所

銅山越まで下山してきました。

銅山越には、銅山の銅鉱石運搬人夫として従事し、志半ばで絶えた方を祀るための祠があります。

そこには、坂の上の雲を目指して生きる人達の姿が目に浮んでくるようです。

 

下山途中にあるヒュッテ付近には別子銅山の選鉱場もあったようです。

かつてあった選鉱場、いまは木々がそびえたっているだけです。

月日の流れを感じます。

 

そうして、15:20 東平登山口に到着しました。

 

まとめ

今回私が歩いた登山道です。

6時間余りの行程となりました。

通常の山あるきは、自然を感じて普段の疲れを吹き飛ばすのが主だと思いますが、今回の山あるきは別子銅山の歴史とその時代に生きた人たちの息吹を感じました

躍動感すら感じます。

 

山道は全体的に整備されていて歩きやすかったと思います

私が上りで利用した登山道は途中険しい坂があったり、岩があるので、初心者の方は避けたほうが無難です。

 

普段の山あるきとは異なる感覚を味わうことができることでしょう。

ぜひ機会があれば、西赤石山へお越しください。

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